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2008年4月

2008年4月29日 (火)

メモ2

「保留ボックス」と「昨日、湯島天神に行ってきた」ということをお話ししたいと思う。

俺が予備校に通っている時、英語の先生が授業の合間に「死というのはいつも何かの途中で終わる」と言っていたのを覚えている。

「息子に会うのを楽しみにしていたところでした」

「大好きな山の絵を描きたいと絵を習い始めたところでした」

など、故人の方とは何かがしたくて、そしてその途中で亡くなってしまった方たちだ。

その「死」についての言説を「生」についても踏まえ考えてみると、つまり「生という状態はいつも何かの途中であり、死はそれを終わりにする」。

そんなことを家で勉強をしながら当時考えていた。

そして部屋を見渡してみたら、あまりにも俺の部屋には「途中」が溢れていたことに気付いた。

「郵送しなければいけない途中の郵便物」

「読みかけ途中の本」

「書きかけ途中のメール・手紙」

俺の部屋には「途中」が多い。

そんな「途中」のものを、2年くらい前から、部屋を整理する目的でひとくくりにする箱を作った。100均で買ってきた透明な箱に「途中」を突っ込む。名づけて「保留ボックス」。

これが俺の「保留ボックス」についてのお話だ。

次のメモ3では「昨日、湯島天神に行ってきた」お話をしたいと思う。Perfumeの新しいアルバムを聴きながら、湯島天神に出かけた時についてのお話だ。

2008年4月25日 (金)

メモ1

今日から、グダグダと独り言のようにPerfumeのメモに関して書いていきますわ。俺のため。

それで今日書こうと思ったのは、Perfumeを作詞作曲とプロデュースしている「中田ヤスタカ」って人がいるのだけれど、その人についてメモしておこうと思う。

俺は中田ヤスタカさんの書く歌詞は苦手だったりする。

中田ヤスタカさんの詞ってのは、知らない人にも説明すると、概ね曖昧な詞で「主語とか目的語」がなかったり「状況が強く限定されてない」とかだったりする。

(ちと「状況が強く限定されてない」ってのを更に具体的に言わせて頂くと「これは別れ話の歌だ」とかそういうこと。ストーリーの限定と捉えても良い)

それで、その歌詞が文章としても状況としても限定されていないのでどうとでも取れたりするんすよ。そこがちょっと苦手。

「いやいや、むしろ歌の歌詞ってそういうもんでしょ!!」っていう方もいるかもしれんが、相対的に抽象的なのが中田ヤスタカさんの歌詞っていう意味。

別に俺としては、歌詞を曖昧にすることによって起こる、歌としての良い効果は理解はしている。

でも、くそー(笑)。どうとでも取れんじゃんって思ってしまう。

(別に、俺は歌詞を作る才能は全くないと思う。)ただ、喩えるならば写実的タッチの上手い画家が、抽象画の方についてムカツクような気持ちだ。そして、その抽象画の方すげー評価されている。

くそー(笑)。どうとでも取れんじゃん。ってね。

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