メモ7
よく「Perfumeの中で誰が好きなの?」って質問をされるんだけれど「うーん」とよく分からなかったりする。
「うーん・・・。わかんにゃい!!」
いやいや、絶対かしゆかだろ?(※)
※ 「笑い」を説明するという世界で最もサブいことをしてみる。「わかんにゃい!!」というのはPerfumeのラジオでの1コーナーにおいての「かしゆか」(髪が長くてストレートの子)の口癖なんですよ。
よく「Perfumeの中で誰が好きなの?」って質問をされるんだけれど「うーん」とよく分からなかったりする。
「うーん・・・。わかんにゃい!!」
いやいや、絶対かしゆかだろ?(※)
※ 「笑い」を説明するという世界で最もサブいことをしてみる。「わかんにゃい!!」というのはPerfumeのラジオでの1コーナーにおいての「かしゆか」(髪が長くてストレートの子)の口癖なんですよ。
何だかんだ言って「5月」31日に横浜で行われるPerfumeのライブに行くのだけれど、楽しみだったりする。
しかし、気付いたら5月になってるんだけれど、ほんと5月がこんなにすぐに来るなんて思わなかった。チケットを取ったのは確か3月だった。何というかその時は「5月」なんて全くもって非現実な月と感じていた。そして、それはいつか来るというのは分かっていたのだけれど、実感として来ることが全くピンとこなかった。
例えば、電車の定期を1年分買ったとすると、そこには「2009年5月9日」と書かれる。また、「20世紀少年」という映画の第3章は「2009年の秋」に公開されると書いてある。
これらの数字は数字上、現在の「2008」が「2009」へとただ一つ数字が増えただけのことだ。しかし、それは私にとって(皆にとっても?)非現実な数字で大袈裟に言えばそれは「フィクション」の数字だ。
そこに、私はいるのだろうか?どんな環境で、何を考え、何をしようとしているのだろうか?その「2009」という数字からは「その時」の私を上記のようにイメージ出来ない。「明日」の私はイメージできる。しかし、「2009」年の私はイメージ出来ない。
これを言い換えると、現在からの時間的距離は(イメージ出来なくなった距離より)無限大まで同意味とも言える。つまり、私にとって「2009」年も「28000」年も「46億」年も同意味ということだ。「いや、ほんと来るのかねえ?」と。
しっかしまさか「5月」が来るなんて思っていなかったなー。同じ論理で考えれば、なあなあ例えば「2008年12月31日」が来るなんて信じられる?あっそう。信じられると。じゃあ例えば「2012年12月31日」は信じられる?「いや、ほんと来るのかねえ?」と。
「判定甘すぎ・厳しすぎ」 ~パクリ元とかねーし、逆にパクられんのはふざけんなだし、って話~
<判定甘すぎ>
「アルバム「GAME」の1曲目「ポリリズム」がUnderworldの「Two Months off」に部分が似てるけど、全く違うものやん。アルバムの最後の曲「Puppy love」とくるりの「ばらの花」は確かに似ているけれど、全く違うものやん!」
<判定厳しすぎ>
http://jp.youtube.com/watch?v=hUFOkMqz4Ek
http://jp.youtube.com/watch?v=KuGH5FLx1e0
「平田香織って誰やねん!Aira Mitsukiって誰やねん!Perfumeフォロワーにも程があるわ!!」
俺はPerfumeが好きで、だからブログに書いていたりするわけだけれど、この判定の差はどうして生まれるのかねえ?不思議でしょうがない。
ネットをぐだぐだやっていたら、ポルノグラフィティのラジオに、Perfumeがゲストで出ている音源があったんすよ。んで、それを録音しようと思って。
なぜ、録音っつーかと言うと、細かい話なんすけど、今日の夕飯時に久しぶりに夕飯を作ろうと思って。それで、料理をしている時に聞きたいなと。んだけど、調理場とPCが若干(いや、ほんと若干)離れていて、水とかシャーなんて出した時やフライパンでジョワーなっている時、よく聞こえないんすよ。
「よし、録音してヘッドホンから直接聞こう!!」
いや、録音っても、そこら辺少しアナログで。まず、PCとMDラジカセをコードで繋げる。(つまり、PCの音がラジカセから出力される)そんで、そのラジカセから流れる音源を、そのままMDで録音する。
なんで、ラジオの放送を録音するには、一度放送を再生しっぱなしにしなきゃダメで。もし、全部録音するなら、50分くらいの放送だったので、50分再生しっぱなしよ。まあ、俺としても50分丸々録音するつもりはなく、調理している時の20分くらい録音しようかなという軽い気持ち。
で、話は変わり、料理のほうだけれど簡単に「きゅうりともやしの豚肉炒め」にしようと思って。さてと、PCのラジオ放送を再生して、コードで繋がったラジカセの録音ボタンを押して、駅前のスーパーへお出かけですよ。
でね。こっからニュアンスの話で伝わるかどうか分からないんだけれど、出かけるその時の心境として「あんま早く帰りたくないな」っていうのに気付いたのよ。どういうことか?
あのね、俺が駅前のスーパーに行って、「きゅうり」と「豚肉」と「もやし」を買って、家に戻るとする。つーと、時間にして最速で10分弱で行けちゃうわけ。
でも、それだとあまりMDに放送が録音されてないじゃん?
いや、時間の効率など考えれば、早めに買い物をして、家に着いて別のことをして10分程過ごす。そこからMD聞きながら調理。ってのが正しい使い方だよ。
でも、その時の俺の心境としては、10分で終わる買い物を20分くらいかけて買い物をしたいってなってるわけよ。
あと、念のため断っておくけれど、これって「Perfume」の“ファン心理”に関する話とは全く別の話っすよ。どちらかというと、人間一般の行動とか心理とかそういった類の一般的な話。
ちょっと話長く脱線するけれど例えるわ。今日、あなたが料理して→ドラマのビデオを見ながら食事すると決めたとすんじゃん?で、そのドラマ今録画している最中なのね。これを細かく、時系列的に説明すんとこんな感じ。
9:00 今、放送しているドラマを録画する
9:30 今日は料理をして、今録画しているドラマを見ながら食事をしようと考える(料理→ドラマ)
9:40 料理開始
10:00 ドラマの放送終了
で、明らかに今日のレシピ調理すんのに10分しかかからないとすんじゃん?すると、ドラマを観るのに10分余るじゃん?この10分をゆっくり調理して、調整させようとしない?そういう心理の話。
・・・と、ニュアンスが伝わったかどうか不安なんすけど、とにかく俺は「あんま早く帰りたくないな」って思ったわけよ。
ところがさー、ここからがやっと本題なんだけどさー、俺「きゅうり」と「豚肉」と「もやし」を買いに駅前のスーパーへ出かけたわけよ。そのスーパーでびっくりしたわ。
「もやし」が売ってねーの!!
おいおいおいと。東京と神奈川に43店舗をも構えている「丸正」さんがなんぼのもんじゃいと。店員曰く「売り切れ」と。
なんじゃこりゃと。
しょうがないんで、駅の南から北へと逆側のスーパーに行くわけよ。ところが、そこでも店員曰く「売り切れ」と。少し意地になって更に北に進みまた違うスーパーに行くわけよ。ところが、そこでも店員曰く「売り切れ」と。
おいおいおい。
「もやし」からバイオエタノールが取れて、食料用の「もやし」が不足とかそんな話か?
「もやし」の暫定税率が復活して、復活前にかけこみ需要しちゃって。それで、「もやし」の在庫が極端に不足とかそんな話か?
ってなるか!!
で、その後スーパー1店とコンビニ2店行ったけど、「もやし」がねーわけ。もう、中野区「もやし」撲滅状態。それで、最後の最後で行った「ファミマ」に行ったらなんと「もやし」が大量にあって。うん?「ファミマ」が中野の「もやし」を買占めてんじゃね?ってくらい大量にあって。ありがとう!「ファミマ」!「もやし」を買うなら断然「ファミマ」!!
んなこと色々あって、やっと家に着いたらPerfumeのおよそ50分の放送が全部録音されていたんすよ。
ワーイ!!Perfumeの放送が全部録音されている。。。ってなるか!!
この前は「保留ボックス」についてお話ししたと思う。http://perfumemo.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_6f9c.html
次は「昨日、湯島天神に行ってきた」話をしたいと思う。
昨日と言っても、この前の月曜日のことなので、随分前になってしまったが湯島天神に行ってきた。
それで、その湯島天神に行ってきたわけなのだけれど、「なぜ行ってきたかなど」のくだりを説明するために、少しPerfumeの新しいアルバムについてお話をしたいと思う。
Perfumeの新しいアルバム「GAME」が出ておよそ2週間ほど経つのだけれど、実を言うとあまり聞いていない。
多分、通してまだ5回くらいしか聞いてないんじゃないのかと思う。 なんというか、聴く機会が全然なくってね。 どういうことかというと、俺は音楽を聴く時ってのは「何かを~しながら」聴いていた。 本を読みながら・掃除をしながら、とか。 しかし、本を読んじゃうと「新しいアルバムの曲」に集中できないし、どうも最近の俺の部屋はきれいすぎる。 かと言って、部屋を暗くしてヘッドホンを装着。正座をしたまま、ラジカセのPLAYボタンを押すってのも何か変だ。自分を俯瞰的に見ると相当変だ(こんなブログを書いている俺も俯瞰的に変だけど)。 それで、色々自分の頭の中だけでシュミュレーションしてみて、結論として原付で運転しながら聴くと良いんじゃねえか?ということになった。 音楽に集中できるし、全くもって絵的に変じゃない。 だけれども、CD再生時間の1時間程くらい運転する機会というのは、なかなかない。 そんな頃、先日お話した「保留ボックス」に「湯島天神」のお札が入っていた。俺が大学受験の頃に買ったものなので、もう6年は経っている代物。何でも、願いが叶ったらお札を返しに行ってくださいという。
そのまま家のゴミ箱に捨てるのもどうかと、ずっと「保留」してあった。
その時、いきおい自分がお札を返しに行くことを想像してみた。そして、それをしている自分がとても楽しそうな「予感」がした。 文京区の湯島までは中野からだとおよそ10Km。 月曜日の東京はとても良い天気。目白通りの並木道を越えて、東京ドームの横を通りすぎ、オフィス街を抜け、湯島に向かう。とても気持ちの良いドライブだった。 ついでと言っちゃあ何だけれど 「転職が上手くいきますように」 とも拝んどいた。
「保留ボックス」と「昨日、湯島天神に行ってきた」ということをお話ししたいと思う。
俺が予備校に通っている時、英語の先生が授業の合間に「死というのはいつも何かの途中で終わる」と言っていたのを覚えている。
「息子に会うのを楽しみにしていたところでした」
「大好きな山の絵を描きたいと絵を習い始めたところでした」
など、故人の方とは何かがしたくて、そしてその途中で亡くなってしまった方たちだ。
その「死」についての言説を「生」についても踏まえ考えてみると、つまり「生という状態はいつも何かの途中であり、死はそれを終わりにする」。
そんなことを家で勉強をしながら当時考えていた。
そして部屋を見渡してみたら、あまりにも俺の部屋には「途中」が溢れていたことに気付いた。
「郵送しなければいけない途中の郵便物」
「読みかけ途中の本」
「書きかけ途中のメール・手紙」
俺の部屋には「途中」が多い。
そんな「途中」のものを、2年くらい前から、部屋を整理する目的でひとくくりにする箱を作った。100均で買ってきた透明な箱に「途中」を突っ込む。名づけて「保留ボックス」。
これが俺の「保留ボックス」についてのお話だ。
次のメモ3では「昨日、湯島天神に行ってきた」お話をしたいと思う。Perfumeの新しいアルバムを聴きながら、湯島天神に出かけた時についてのお話だ。
今日から、グダグダと独り言のようにPerfumeのメモに関して書いていきますわ。俺のため。
それで今日書こうと思ったのは、Perfumeを作詞作曲とプロデュースしている「中田ヤスタカ」って人がいるのだけれど、その人についてメモしておこうと思う。
俺は中田ヤスタカさんの書く歌詞は苦手だったりする。
中田ヤスタカさんの詞ってのは、知らない人にも説明すると、概ね曖昧な詞で「主語とか目的語」がなかったり「状況が強く限定されてない」とかだったりする。
(ちと「状況が強く限定されてない」ってのを更に具体的に言わせて頂くと「これは別れ話の歌だ」とかそういうこと。ストーリーの限定と捉えても良い)
それで、その歌詞が文章としても状況としても限定されていないのでどうとでも取れたりするんすよ。そこがちょっと苦手。
「いやいや、むしろ歌の歌詞ってそういうもんでしょ!!」っていう方もいるかもしれんが、相対的に抽象的なのが中田ヤスタカさんの歌詞っていう意味。
別に俺としては、歌詞を曖昧にすることによって起こる、歌としての良い効果は理解はしている。
でも、くそー(笑)。どうとでも取れんじゃんって思ってしまう。
(別に、俺は歌詞を作る才能は全くないと思う。)ただ、喩えるならば写実的タッチの上手い画家が、抽象画の方についてムカツクような気持ちだ。そして、その抽象画の方すげー評価されている。
くそー(笑)。どうとでも取れんじゃん。ってね。
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